海から山へ。元ダイビング誌編集長が、山暮らしを始めるまでの物語。
公開日test:20190327作成日test:20201128
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「ちょっと薄っぺらくて恥ずかしいんですけど、一日の中に自然が当たり前にある生活ってかっこいいなって思うようになったんですよね。」 雑誌の仕事やプライベートの旅行で世界の都市部に暮らす人々を見てきていた夫の浩さん。アウトドアとインドアの境目なく、自然の恵みと都会の便利さを享受する彼らの生活に驚きを隠せなかったといいます。 「彼らは、街にいるより外にいる方が気持ちいいからって、当たり前のように自然を生活に取り入れる。 例えば、朝、3000m級の山でスキーをしてから出社。昼は街の中にある広大な公園で散歩してランチ。週末の夜は、仕事終わりにそのまま職場のみんなと山へキャンプに出かける。そんな1日を過ごす人にも出会った。 彼らを見ているうちに、休日や連休にしか自然が味わえない都心暮らしに違和感を感じはじめたのかもしれません。」 現在の仕事場。窓に季節の移ろいが映える。 「今の仕事場は、とっても静かなんです。聞こえてくるのは、沢のせせらぎと鳥たちのさえずりだけ。ここに座っているだけで満たされた気分になります。山の中っていつもその時なりの美しさがあるんですよね。雨でも晴れでも曇りでも。」 そう話すのは妻の夕紀子さん。 優しいひだまりの部屋も夕紀子さんお気に入りの場所。 そう語るお二人ですが、今に至るまでには、それなりの葛藤や変遷があったよう。どのようにして乗り越え、どのように変化しながら、山の暮らしへと入っていったのでしょうか。 都心での暮らしに誇りをもっていた浩さん 浩さんは、都心の大学を卒業し、金融関連の企業に4年ほど勤めますが、自分にスーツを着る仕事はとことん合わないと痛感します。そんな中、縁あって海のレジャーを専門に扱う出版社へ転職することに。 15年ほど海の世界にどっぷりと浸かりダイビング専門誌の編集長を4年勤めた浩さんは、その後フリーランスに。他ジャンルの雑誌の仕事もはじめ、陸の世界にも見聞を広げます。都心で暮らし、国内、海外を取材で飛び回る。そんな生活に心酔していました。 浩さんの本棚には、音楽/文化/スポーツ/民俗学これまでの取材内容がうかがえる本が並ぶ 「僕は東京郊外の八王子出身で、ずっと都心の生活に憧れてました。お金はないんだけど(笑)、赤坂のマンションからミッドタウンを経由して六本木の事務所に通う生活。都心に暮らしているとおしゃれなモノや世の中のトレンドがつかみやすい。当時はすごくそれがきもちよかった。」 子供の頃から大自然の中に放り込まれていた夕紀子さん 夕紀子さんは小さな頃からアウトドアの英才教育を受けていました。小学校の頃から、無人島で10日間を過ごすキャンプに参加したり、丹沢山脈を子どもたちだけで縦走していた筋金入りの自然児。 浩さんがフリーランスになった頃、夕紀子さんは浩さんが勤めていた出版社に入社。しばらくの後、浩さんのアシスタントとして働き、赤坂での都心生活を共にはじめました。 ところが、都会の窮屈さに夕紀子さんは強く違和感を感じはじめます。 「とにかく深呼吸ができなかった。緑もないし。周りは全部ビル。狭い住空間がとっても息苦しくて。ストレスでめまいを起こすこともありました」...