自然は全てがつながり、そこに存在する理由が必ずある。/葉っぱ先生・田中智さん
公開日test:20180810作成日test:20201128
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「一本一本の木には、なぜこの斜面のこの森の中に生えているのか、必ず理由があるんです。」 そう教えてくれたのは田中智(さとし)さん。小さな頃から自然が大好きで、今では南八ヶ岳の山麓で在野の植物学者として活躍しています。 田中さんの自然の世界、自然との生活はどう深められていったのか。お話をうかがいました。 田舎が楽しくて、帰りたくなくて、涙が出た。 「生まれは神奈川県横浜市。その頃は横浜にもオオムラサキがいましてね。学校の行き帰りにはクワガタムシを取りに行きました。わたしが住んでいたところは横浜市でもまだ自然が残っているところだったんです。」 子供の頃は、よく夏休みに長野県小諸市のお祖父様のところに預けられた田中さん。夏休みも終わり頃になると涙が出てしまうほど、田舎や自然が大好きだったそうです。 「田舎に行って、まず星が好きになりましてね。天文ガイドという雑誌を読み出したんですけど、その中に読者の投稿写真ってコーナーがあって、自分でも写真を撮ってみたいと思うようになったんです。それに載ることが、その頃の天文ファンの夢だったんですよ。」 「中学生の頃、撮影機材は何も持ってなくて。兄が買ったNikonの一眼レフを借りました。それを持って山に入り、最初に流星群を撮影したのが載ったんです。その投稿写真のコーナーに。」 ――小さい頃にそんな経験をしたら、熱も加速しますね。 「その頃若い世代で申し込んでくる人もいなくて、おそらく応援の意味で載ったと思うんですけどね。それで野辺山天文台の近くに通うようになりました。高校からは夏休みに友だちみんなで写真を撮ってね。そのうちには中央アルプスの千畳敷っていうところにテントを張って。そこで高校の頃は二回ほど星空を撮りに行ったんですよ。」 ゲンゴロウを探し求めて、自分を見つめ直す旅に出た。 高校を卒業した田中さん。時代はバブル。まわりに流されるまま、横浜で会社員になりました。しかし、やはり自然の中での生活が忘れられず、まったく仕事に身が入りません。 「それでね、ゲンゴロウを探しに旅に出たんです。」 その頃、横浜近郊で見られるゲンゴロウは小さなものでした。お祭りの屋台で見かけた絶滅危惧種のゲンゴロウ。田中さんはそのあまりの大きさに衝撃を受けます。それほどのゲンゴロウが棲息できるところにはきっと素晴らしい自然が残されているに違いない。その自然を見に行こう!仕事を辞めて田中さんはゲンゴロウ探しの旅に出ます。 「滋賀の甲賀の里に大きなゲンゴロウがいると聞いて行きました。小さなバイクで。でもね。いなかった。」 ――悲しいですね。素晴らしい自然も残ってなかったってことですからね。 「帰ってきてから道志村のクレソン畑にゲンゴロウがいるって聞いて、またそこに行ってみました。そしたら、そのクレソン畑の方も脱サラした人が運営されていたんです。君、いま何もやってないんだったらウチで働かない?となって、そこでしばらく働かせてもらったんです。」 「そこでもいろいろあって。でも、今さら都会の横浜に帰りたいとは思えなくて、どうやったら自然の近くで生きられるのかなって思っていたら、ここの八ヶ岳の別荘地で別荘の管理で住み込みで働ける口があったんです。そこで住み込みながら山に入って植物の研究をしはじめました。でも、わたしは、たくさんの人が研究しているものにはちょっと興味がわかないみたいで、植物の中でも「花」の研究は違うかなと思い始めて。」 ――高山植物、山に行くと詳しい方たくさんいらっしゃいますもんね。 「そうなの。だから樹木に行ったんです。お花もスミレに特化して。今だと樹木とお花の自分なりに集めた標本が1000種ぐらいあります。」...