職人であり、登山家でもあったからこそできた至高の山道具。シェア率90%のワカンを作り続ける国産メーカー「エキスパート・オブ・ジャパン」
公開日test:20180208作成日test:20201128
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埼玉県川口市にある、小さな町工場。そこに、国産にこだわってワカンやアイゼンを作り続けている会社がある。その名は、「エキスパート・オブ・ジャパン」。現在はオリジナルで登山用品を製造、販売しているが、前身は航空機部品を下請け製造する金属加工業の会社だった。 世の中の「自動化」が猛スピードで進む中、同メーカーは、熟練した職人による手作業にトコトンこだわっている。昨今、「国産」はブランディングするうえでひとつの強みになっているが、人件費や高効率を考えたとき、場合によっては企業にとって頭を抱える問題にもなる。 なぜ、下請け製造業から、登山用品を開発・製造するオリジナルメーカーへと転身したのか。平たく言うと、後者は在庫を抱えるリスクを伴う。それは社運を分ける、一大決心だったのではないのか。 今回、工場に足を運び、モノづくりの極意や職人の手作業にこだわる理由など、国産メーカーの行く道をうかがった。 突出したマルチな才能が生んだ、国産の山道具屋 ――個人的な話になりますが、以前スノーシューを探していた時に、エキスパート・オブ・ジャパンのワカンに出会いました。これはいいなと思って。御社といえばワカンのイメージが強いですが、どんな山道具を作っているのでしょうか。 ワカンのほかに、アイゼン、ピッケル、ストック、クライミング用品などの山道具を手掛けています。当社の商品はすべてオリジナルで、企画から製造まですべて社内で行っています。 代表モデル「スノーシューズ」。前後を反らせた形状で急斜面でも登り下りが楽にできる。この冬改良を加え、さらに扱いやすくなった ――立ち上げの経緯を教えていただけますか。 まず、エキスパート・オブ・ジャパンの前身となる「石井製作所」は、昭和2年に東京・池袋で創業しました。おもに航空機部品の製造を請け負う会社です。しかし、昭和20年に空襲のため工場が消失してしまい、その後は、医療や通信機器の部品などを製造するプレス金属加工業として、再スタートしました。それが昭和37年のことです。 お話をうかがったエキスパート・オブ・ジャパン2代目社長、石井正子さん ――そこからアウトドアギアの開発・製造へは、どのようにして至ったのでしょうか。 石井製作所の三代目社長となる石井貞男が大の山好きで、最初は市販の道具を買っていましたが、自分の家に工作機械があるので、それを使って山道具を手直ししはじめたんです。彼は工学部を出ていたので、図面も引けるし、絵も上手でした。 そのうち、下請業の合間を縫って、自分が考えた図面をもとに余っていた端材でオリジナルの道具を作り、山へ持って行くようになりました。その道具を見た山仲間が、「これは売れるんじゃないか?」と。このようなきっかけで、少しずつ作りはじめ、昭和59年に石井製作所のなかにエキスパート・オブ・ジャパンを商標登録するという業態でスタートしました。 山仲間と雪山を楽しむ石井貞男氏(右) 代表モデルのスノーシューズと石井貞男氏 創業当時から「エキスパートコレクション」という営業誌を作り、取引先に配布していたという。デザイン画は石井貞男氏の手描きによるもの ――最初から会社を立ち上げたのではなく、石井製作所の一部だったんですね。 そうです。高度成長期が過ぎてオイルショックが起こり、下請けの仕事が減っていった背景や、山道具の売り上げが伸びてきたこともあり、平成3年に石井製作所改め、株式会社エキスパート・オブ・ジャパンを設立することになりました。 しかし、当時、石井製作所の三代目社長であり、株式会社エキスパート・オブ・ジャパンの初代社長となった石井貞男は、周囲から「下請けはメーカーにはなれない」と、“下請け”から“メーカー”に変えることの難しさを散々言われました。...