1万人の笑顔を生む「南沢あじさい山」。89歳の花咲かじいさん物語は29歳の若者へ継がれ、未来へ。
公開日test:20190707作成日test:20201128
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あじさい山は、静かな早朝が狙い目。霧雨に包まれた森は幻想的な雰囲気に。 東京のあきる野市にある南沢あじさい山には、6月中旬から7月中旬にかけて、毎年約10,000人もの見物客が訪れる。静謐な森の中、ほのかなピンクや妖艶な紫色に咲き誇る紫陽花(あじさい)が、得も言われぬ美しさであたり一面を覆うからだ。 その数ざっと15,000株。 ここまで艶やかな紫陽花を咲かせるには、丹念な手入れが必要となる。 聞けば、この山で紫陽花が育てられるようになったのは約50年前。 先祖代々この地で暮らす南澤忠一さんがたった2株の紫陽花を山の中に植えたことから物語は始まった。 あじさい山の入口横にある忠一さんのご自宅縁側にて。築100年以上の立派な古民家だ。 山の中に、見渡す限りのあじさいが咲き誇る。 忠一さん 「まだ若い頃、お盆の時期にお花の中を通ってお墓へ行けたらと考えて、最初は庭の紫陽花を2株ほど抜いて、山に植えることにしたんです。それをゆっくり育てて、だんだん増やして。ついつい、増えちゃったというのが正直なところです(笑)」 森の妖精「ZiZi(ジィージィー)」が道案内。あきる野市に縁のある造形作家・友永詔三さんが手がけた。近隣には氏の美術館がある。 あじさい山には、順路とともに、忠一さんの歩みを一緒に辿れる看板があちこちに。 当初の動機は、言ってみればご先祖さまへの尊敬の念から。 そして親戚が墓参りに訪れるたび、増えていく紫陽花を見て感嘆の声をあげるようになっていく。紫陽花の華やかさによって笑顔が増えるにつれ、次第に「人を喜ばせる」ことが忠一さんのモチベーションとなっていった。 忠一さん「最初の数十年は手入れするのは自分一人。木材を扱う会社を経営していたから、日曜だけしか紫陽花の手入れはできなかった。それなのに紫陽花の数が増えてきたら見に来る人が増えて、いつのまにか観光地になっちゃった(笑)。」 たった一人で紫陽花を育て続ける忠一さんを見て、弟さんが手伝うように。約10年前には地元で「花の会」という有志のチームが立ち上がり、公的機関から助成金を集めるなど、紫陽花の手入れは本格化していった。 自分でも把握しきれないほど株数の増えた紫陽花。すっかり観光名所と化したあじさい山だったが、忠一さんも80代後半に差し掛かり、今後の管理に不安がでてきた。 そんなタイミングでこの山は大きな転機を迎える。あきる野市の地域ブランディングを主な業務とする株式会社do-moの高水健さんが、あじさい山の運営に関わることになったのだ。 現在、29歳の高水さん。忠一さんとは、孫ほど年が離れている。 「花の会」を通じて、この山の魅力に触れた高水さん。15,000株の紫陽花をさらに多く、いつまでも美しく輝かせるため、主体的にあじさい山の運営に関わりたいと、忠一さんへ申し出たのだ。...