arrow-right cart chevron-down chevron-left chevron-right chevron-up close menu minus play plus search share user email pinterest facebook instagram snapchat tumblr twitter vimeo youtube subscribe dogecoin dwolla forbrugsforeningen litecoin amazon_payments american_express bitcoin cirrus discover fancy interac jcb master paypal stripe visa diners_club dankort maestro trash

商品

ブログ

リンクのテスト indextest【東京都】
消防士からの大転身。雲取山中腹にある山小屋『三条の湯』名物小屋番の誕生秘話
1万人の笑顔を生む「南沢あじさい山」。89歳の花咲かじいさん物語は29歳の若者へ継がれ、未来へ。
人に教えたくない、奥多摩の隠れ家。自分のペースを取り戻すために。絶景カフェ『Café Indigo Blue』
東京・御岳、中古アウトドアギア専門店を立ち上げた店長が語る「ギア愛」:maunga
海から山へ。元ダイビング誌編集長が、山暮らしを始めるまでの物語。
青梅・奥多摩、登山口にも神出鬼没。“幻のシフォンケーキ屋さん”:ちゃんちき堂 久保田哲さん

News — 東京都

消防士からの大転身。雲取山中腹にある山小屋『三条の湯』名物小屋番の誕生秘話

公開日test:20190719
作成日test:20201128
new表示test:

日本百名山の1つ、東京都最高峰の雲取山。その山腹、標高1,103mに、美肌の湯として知られる温泉付きの山小屋「三条の湯」はある。 雲取山や飛竜山登山への拠点となる創業69年のこの山小屋で、現在、小屋番を務めているのが、山岸周平さん(35歳)だ。 原生林に囲まれた山小屋では、四季折々の美しい景色が楽しめる。 ここでの生活は、現代人のそれとは思えないほど、慎ましい。 樹齢数百年の大木をはじめとする原生林に囲まれた、人里離れた森のなか。人知れず薪を割り、山菜をとり、楽器を弾き、訪れる登山客をもてなす日々。携帯もネットもつながらなければ、固定電話もない。下界に降りるのは、月5日間の休みのみ。山岸周平さんが、そんな仙人のような暮らしを選んだのは、約2年前のことだ。 前職・消防士から一大決心をし、小屋番へと転身した山岸さん。一風変わったこれまでの顛末について、話を聞いた。 まっすぐに、夢を追いかけ続けて 小学生の頃には、前職の消防士になることを決めたと山岸さんは話す。 「子供の頃から外で体を使って遊ぶのが大好きでした。通学路に消防署があったんですけど、訓練の様子を見て、仕事中に体動かせていいなって思って。現場の人に話を聞いたら、『この仕事はいいよ。走ってると褒められるんだもん』って言われて(笑)。みんなスマートだし、かっこいいし、大人になっても仕事で運動できれば最高だなって思って、将来は消防士になろう、と」 高校卒業後はすぐに消防士になりたかったものの、親の希望もあって大学へ進学。公務員試験に強い法学部を選び、高倍率と言われる東京消防庁への就職を目指した。大学卒業時の採用試験では不合格になってしまうが、神奈川県警に通り、迷った末、就職を決めた。 民族楽器「ディジュリドゥ」は、奥多摩町在住のディジュリドゥ奏者NATAさんから教わったという。 「機動隊のなかにレスキュー部門があって、これなら人命救助だし、やってみるか、と。でも、研修中に機動隊の人に話を聞いてみたら、『警察のレスキューは、救助ではなくほとんどが遺体捜索、日々の仕事も警備などが基本で、お前が考えているようなものじゃない』と言われてしまって。実習で交番勤務もしたけど合わず、やっぱり消防を受けなおそうと半年で警察を辞めました」 スポーツジムなどでのアルバイトで糊口をしのぎながら、試験勉強を続け、26歳の時に東京消防庁に合格。荻窪消防署のポンプ隊に配属され、待望の消防士になった。 身体を鍛えながら訓練を積み、出動に備える日々。少年の頃に思い描いたライフスタイルが現実となった山岸さんだったが、そのうち、また新しい目標が生まれた。山岳救助隊に入ることだ。 今では薪割りなどの日常仕事がトレーニングに。 転勤とひとり旅がターニングポイントに 通常、人命救助活動は、消防士のなかでも選抜試験を突破した有資格者だけで編成される「特別救助隊」、通称、レスキュー隊が行う。ただ、東京消防庁でも山間部を有する西多摩区域では、消防隊員の業務内に“山岳救助’が含まれる。つまり例外的に、レスキューの資格を持たなくても、救助隊員になれるのだ。 「とくに人員が少ない奥多摩の消防署は、やりがいがあるという話でした。出張所がなく、本署しかないから、自分たちだけでなんでも完遂する必要がある。その分、プライドもあるし、面白い、と。自然豊かな長野県で育ったせいか、山のあるところで働きたいという思いもあったし、配属希望を出していたら、29歳のときに奥多摩署への転勤が決まって。4年目から、山岳救助隊員としてなんでもやるようになりました。登山技術やロープワークなど、あらゆる知識と技術、経験が求められる仕事でしたね」 奥多摩に転勤したことで、プライベートにも変化があった。趣味で、ひとり旅を始めたのだ。登山、ヒルクライム、クライミング、沢登り、ケイビング(洞窟探検)など、山にまつわるあらゆるアクティビティも嗜み、日本全国をひとりで巡るようになった。 屋久島を旅したとき、初めてゲストハウスに宿泊。国籍も性別も年齢も関係なく、その場に居合わせた者同士が自然にコミュニケーションをとり、旅の想い出を分かち合う。その独特の感覚に魅了され、いつしか、「宿」そのものが旅のテーマの1つになっていったという。...

by miguel.
July 19, 2019

Shopping Cart