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黒部源流の開拓者 伊藤正一を継ぐ者たち(前篇)|三俣山荘・水晶小屋小屋主 伊藤圭の道

公開日test:20191219
作成日test:20201128
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北アルプスの最奥部、三俣蓮華岳とその東にそびえる鷲羽岳。2つの峰の鞍部に立つ山小屋が、三俣山荘。今でこそ多くの人が訪れるようになった黒部源流部の登山文化の始まりが、ここにあります。 三俣山荘と鷲羽岳 黒部の主との語らい ”山小屋とは本当に楽しいものだ。末永く続いていってほしいものです。” これは、“黒部の主”と呼ばれ、未開の黒部源流域を開拓し、三俣山荘・水晶小屋・雲ノ平山荘を建てた伊藤正一氏(1923-2016)が残した言葉です。 黒部源流の主・伊藤正一氏 「あれは『源流の記憶』という写真集の出版記念講演会で言った言葉なんですよ、亡くなる半年ぐらい前かな。親父が言うと思わなかったからびっくりしました。山小屋サイテーだってずっと言ってたから。こんな商売早く辞めたい、俺は外国で暮らしたいんだって言ってた人なので(笑)」 と、いきなり暴露話をしてくれたのは、正一氏の長男、現在は三俣山荘と水晶小屋の小屋主を務める伊藤圭さん。 伊藤圭さん(安曇野の自宅にて) 「たぶん親父は山小屋で会える人のことを言っていたんじゃないですかね。山小屋って、本当にいろんな分野の人に会えるんですよ。社長さんでも、国会議員でも俳優でも。単純に言えば、そういう人たちが一堂に会して話をしてるっていうのが面白いんだと思いますよ。それは“山賊”と登山者と親父が三つ巴になって話しているカオスと同じで」 圭さんが“山賊”と言ったのは、『黒部の山賊』のこと。伊藤正一氏は山岳書籍の名著と称されるこの物語の著者でもあるのです。 黎明期の黒部源流で正一氏が出会った“山賊”(マタギ)たちの話や山小屋生活の様子が綴られた『黒部の山賊』 科学者であり、冒険家であり、写真家であり、文筆家だった正一氏を父に持った圭さん。1歳から高校生ぐらいまで、夏は三俣山荘を拠点に暮らしていました。普段は物静かな正一氏でしたが、山小屋の食卓では山や山賊の話などを家族や小屋番たちに語り聞かせるのが日常だったといいます。 よちよち歩きの頃から、夏は山小屋で暮らした 「歳も離れていたんで、山の話と宇宙の話を聞く以外はあんまり関わらなかったですね」 と、少年時代を振り返った圭さんですが、一つだけ、ずっと心に留めていた話がありました。 伝説の道”伊藤新道” それは、“伊藤新道”の話です。 「もとをたどると、この小屋は歩くと2日かかる場所、ヘリがない時代は建築が不可能だと言われていたんですね。“伊藤新道”は科学者だった父が、三俣山荘と雲ノ平山荘の建設のために、最短ルートを考案し、開拓した道なんです。」 正一氏が初めて三俣を訪れた昭和20年代、そこへ入山するためには上高地からか、烏帽子から行くしかなく、いずれも2日かかる道のりでした。黒部源流の野性的な自然と周囲の景色にすっかり魅了された正一氏。“山賊”たちの拠点となっていた猟師小屋(三俣蓮華小屋)を買い取り、山賊たちの助けを借りながら、山小屋建設の準備を進めました。...

by and craft みやがわゆき
December 19, 2019

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